ひと月前、新聞の書評にて本書をみつけ、読んで
みたいと思った。東京五輪のマラソン・コースが
札幌に変更される前です。円谷幸吉が1964年
東京五輪の表彰台に上がってから55年。まさか
の開催直前のマラソン・コース変更に円谷はどう
思うだろうか・・今とは異なる昭和の時代、戦時
中の軍隊の延長のような環境のなかで『メキシコ
オリンピックで、日の丸を掲げるのは国民との約
束なんだ』。いつもそのアタマのなかには日本と
日本人があり、オリンピックの重圧の中で満身創
痍のランナー円谷幸吉は「父上様、母上様・・」
ではじまる有名な遺書を残し、命を絶った。膨大
な数の手紙と関係者の証言をもとに、その真相を
追う本書です。円谷が掛けた思いを知ると、今回
の【国際オリンピック委員会】の札幌・代替案を
簡単に受諾した【国】の組織委員会の姿勢に、国
(日本)は誇りと強い意思をもって交渉できなか
ったのか。と思いますわ。円谷幸吉が泣いてるぞ。
話は少し反れますが・・どんな経緯かは知らない
けど、小学校1年生のとき、円谷選手がわが校の
校庭を走ったことがある。50数年前の記憶です。
週明けの朝礼後、全校生徒が注目するなか、颯爽
とランニング。その姿は眩しく、また美しかった。