長崎は今日、被爆から71回目の「原爆
の日」を迎えた。この日の前に・・録画
しておいた【決断なき原爆投下】をみる。
今に至るまで・・原爆投下の大義とされ、
また定説とされてきたトルーマン元・米
大統領の言葉。『戦争を早く終わらせ多
くの米兵の命を救うために、原爆投下の
決意をした』。真実は・・原爆の投下後、
当時の大統領自身、深い後悔の念があっ
た。明確な決断をしてはいなかった。今、
隠された【謎】を解き明かす番組でした。
太平洋戦争末期、米国・ルーズベルト大
統領が極秘裏に進めたマンハッタン計画。
1945年4月、原爆の完成を待たずに
大統領は急死。直後、引継ぎもないまま
突然、就任したトルーマン。その4か月
後、原爆は広島と長崎に投下される。そ
の日まで、一旦始めた計画は止められな
かった。その重責を背負ったトルーマン。
狙いは最大の破壊効果のある都市、軍部
は軍事拠点に落とす。と強調するも、見
せかけの報告書を見抜けなかった大統領。
8月10日、これ以上の投下の中止を決
断するも、遅すぎる決断。大統領は自ら
の指示による原爆の投下を隠そうとした。
世論を操作するため自らの演出。都合の
良い理屈。指導者は真実を見逃し、原爆
投下は正当化された。71年後に明かさ
れた広島、長崎が問い正す重い問い掛け。
あの戦争とは、原爆投下とは。その真実
の応え求む、8月9日の【この日】です。
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