読売新聞・朝刊にて【あの時】のタイトルで、
1992年、夏の甲子園にて星稜高校と明徳
義塾戦で、星稜の打者・松井秀喜に対し5打
席連続敬遠を与え、勝負の在り方を巡る議論
を巻き起こした両校の監督は今、何を思うか。
昨晩の【日大・アメフト監督の除名処分】後
の解説記事。意図して今朝の掲載なのだろう。
星稜・松井との勝負を避けた明徳は非難を受
け、この試合をきっかけに両校ナインには大
きな葛藤が生まれた。記事には当時の両監督
の当時の考えと今、何を思う。が記されてる。
明徳の馬淵監督は「当時は監督になって2年、
若かったからねえ、どうやって勝つかばかり
考えていた。今なら(敬遠は)しません。し
かしながら監督としては間違っていなかった。
けれど、一人の大人として松井君に嫌な思い
をさせたというのはあります」。のコメント。
星稜の山下元監督は「もう26年前、正直言
ってあまりふられたくない試合ですね。だけ
ど、あれで松井が有名になった。後年、明徳
が優勝したとき、僕も嬉しかったので馬淵監
督に電話しました。あれだけ批判され、苦し
んだでしょうから」。甲子園が割れた日から
26年・・両監督が背負った傷は大きかった。